キリスト教って何?
キリスト教って何?
聖書に書かれているその本質とは

伝えようとしていること
聖書に何が書かれているのか
自分たちが直面している状況
皆さん、聖書という本の名前をこれまでに1度はどこかで聞いたことがあると思います。
この聖書という本は、約3,500年前から1,900年前の間、当時の中東の地域で幾世代にもわたる人々の手を経てヘブル語、アラム語、そして古代ギリシャ語を使用して記録され、現代に至るまで、その極めて正確な写本が残されています。
この聖書の内容を紐解くと、その根底には、極めて精緻な構造をもってこの世界がどのようにして成り立っているかが浮かび上がってきます。
そして、もしこの記事を読んでいる方がいるとしたら、それは、まさにこの聖書に書かれていたことが実際に進行しているという環境においてだと思います。
その聖書に書かれていることの1つ1つについてここでは取り上げませんが、結論だけを申し上げると、この聖書の原文にある世界の成り立ちは、全ての自然科学における最新の観測結果と完全に相溶しているということです。
それは、聖書の正当性を主張したいということではなく、
この世界が1つの大きな秩序の元に成り立っている、それをお伝えしたいということです。
その中で、これを読んでいる方が、極めて厳しい環境に陥っているとしたら、それは、その大きな秩序の外側に自分たちを閉じ込めてしまっている、それが皆さんが直面している
現実の意味していることです。

どちらに進んでいけばいいのか
私たちをとらえているもの
皆さんを閉じ込めているものの正体、それは、それぞれが作り上げた自分たちを飾るための枠組みです。
聖書の中には、自分たちの決めたルールや制度、そして価値判断基準、これらが人々を縛りつけているということ、そしてそれらは世界の1つな大きな秩序と自分たちを分かつ堅牢な境界線を作り出してしまう、ということが書かれています。
1つの大きな秩序との相溶、それは”人が決めた何か正しそうなラベル”によっては、決して到達することのできない場所です。
必要なのは、個々人が考え、そしてそれが正しいと
確信できること、または心の共鳴が起きるもの
それらから目をそらさずにまっすぐに進んでいくことです。
自分を飾ってくれるラベルや価値観、制度は、これらの真の意味での”正しいこと”と真逆のものです。
何と向き合いどう進んでいくべきか
この真の意味での”正しいこと"は、難しく考える必要はありません。
心の声、心が共鳴するものを素直に受け取り、
そこに向かって進んでいけばいいのです。
ただし、その道は決して容易な道ではありません。
長く険しく、また、その心の声に従って進もうとすれば
そこには必ず物理的な戦いも生じてくるはずです。しかしそれでもなお、その道をまっすぐに進んでいただきたい
その思いを込めて、この文章を残させていただきました。

最後に
このサイトをご覧になった方々が、その絶望的な状況から逃れ、大きな秩序とつながることが
できるよう、心より願っています。
そしてそれは、いかなる制度的、宗教的なラベルによってもつながることのできない世界です。
聖書原文の根底にある構造として、
そこにはいかなる宗教的ラベルを入手する方法も書かれておらず、
ただ、世界がどのように成立しているか、そして皆さんが何を選び取らないといけないか
それが書いてあるのみです。
